正月早々に世間をあっと言わせたカルロス・ゴーン被告のレバノンへの逃亡劇。
大きなニュースでいろいろな番組で解説していますので、その内容についてはここでは触れませんが、海外メディアの反応について、元の記事に触れながら、若干解説したいと思います。
日本語記事「海外メディアの反応」の功罪
このニュースに限らず、海外でも注目を浴びたニュースの場合、よく海外メディアの反応はという解説がつきます。
ただ、それは大概2−3行の簡単なものです。
そして、今度はそれをベースに海外ではこう思われていると国内での議論に使われます。
元の記事や発言をきちんと踏まえないと誤解が生じるケースがあるのになぁと時々心配になります。
逆もまた真です。
日本での議論が正確に英語で発信されないと、今回のケースのように、誤解に基づく(英文)報道で海外世論が形成されてしまいます。
情報の発信も受信も、日本語だけでなく英語でも質・量とも改善しないといけないのではないか、と思います。
ゴーン被告逃亡への海外メディアの反応
今回の逃亡ニュースにおける海外メディアの反応で、日本人として最大の関心は、「ゴーン被告の行動(逃亡)に対し擁護的立場かどうか」ではないかと思います。
The New York Times: Carlos Ghosn, Victim or Villain?
その点で、The New York Timesの社説(Opinion)がダイレクトに書いていましたので、抜粋を紹介します。
タイトルは、”Carlos Ghosn, Victim or Villain?“「カルロス・ゴーン、犠牲者か悪役か?」です。
正に知りたいところですね。
“Villain”は、ディズニー映画やマーベル映画でも「ヴィラン」として準日本語化していますので分かる方も多いとおもいますが、「悪役」の意味です。
本人が説明したように犠牲者(Victim)なのか、法を無視し悪事を隠すために逃亡した悪役(Villain)なのか、ということです。
副題は、
”The fugitive auto executive, who has turned up in Beirut, said he fled Japan to avoid a cooked-up case against him.”
ベイルートに現れた逃亡中の自動車幹部は、彼に対する事件捏造を回避するため日本から逃げたと発言した。
と、日本の法対応の不当性を示唆します。
Cook-upは「でっち上げる」「捏造する」の意味です。
Unresolved in all this is whether Mr. Ghosn is guilty of the crimes he was accused of in Japan and deserves to serve time in prison, or whether the Japanese legal system, with its 99 percent conviction rate and the inordinate pressure it puts on suspects to confess — in Mr. Ghosn’s case this included questioning him for hours without a lawyer by his side, all but cutting off any contacts with his wife and holding him for weeks in jail — meets international standards of justice.
ゴーン氏が日本で責められている罪で有罪で刑務所に入るのに値するのか、あるいは、99%の有罪率と容疑者に自白を強要する日本の法制度、さらにゴーン氏の場合は弁護士の同席なしの尋問や妻との面会禁止と何週間もの拘置所留置が、国際的な法制度の基準に合うのか、未解決のままだ。
「99%の有罪率」がここでも問題視されています。でも、TVでもよく解説されているように、日本では有罪の可能性が高いものだけ起訴され、無罪の可能性が高いものは不起訴となります。まずは起訴され、その結果、無罪が多い国とは、前提条件が異なります。そのことを日本のTV番組だけでなく、正しく海外に発信しなくてはいけないと思います。
例えば、「逮捕された人のうち起訴される人の割合(起訴率)」など簡単に計算できるはずです。
日本のTV解説の主張が正しいのであれば、そうした公式の数字を政府が公式に発信していくべきだと考えます。
妻との面会禁止も、妻が単なる家族ではなく、犯罪に関与している可能性があるからであり、特殊な事情である点は、これもきちんと対外説明すればよいのではないでしょうか。
一方、自白強要は、以前より改善されたとはいえ、冤罪の温床といわれており、まだ改善の余地はあるのかもしれません。
Equally unclear is whether the case against Mr. Ghosn was based on a fair assessment of his transgressions, or whether, as he claimed, Nissan had conspired with the government to bring down a foreigner who was imposing foreign ways on a Japanese company.
ゴーン氏の事案が彼の犯罪への公正な評価に基づいているのか、あるいは、彼が主張するように、日産が政府と共謀し、日本の会社に外国のやり方を強要する外国人を追い落とそうとしたのか、もまた明確ではない。
「日産と政府が共謀して外国人社長を排除しようとした」というのは非現実的な気がしますが、それがまことしやかに語られるのはびっくりです。
日本がそういう国と思われているのは残念で仕方ありません。
Japan has demanded that Mr. Ghosn be returned to stand trial, but that is unlikely, given that he has Lebanese, French and Brazilian citizenship. And given that the Japanese justice system is also on trial, it may be better for this saga to play out in the court of public opinion. Mr. Ghosn needs to make a far more convincing case than he did at his theatrical news conference if he is serious about clearing his name. And Japan needs to take a close look to see whether its justice system is due for a fundamental rethinking.
日本はゴーン氏が戻って裁判に立つことを要求しているが、彼はレバノン、フランス、ブラジルの国籍を持っていることから、その可能性は低い。そして、日本の法制度も試されていることを考えると、この物語は、世論の判断に委ねるべきだろう。ゴーン氏は、もし汚名を挽回したいのであれば、劇場型記者会見よりももっと説得力のある説明をすべきであろう。そして日本は、その法制度が抜本的な改正が必要かどうかもっとよく精査する必要がある。
最後は、意外と中立的なコメントで終わっていますね。レバノンでの記者会見を「劇場型」として皮肉る一方で、日本には、法制度の見直しをすすめています。
ゴーン氏の逃亡は許されることではありませんが、それへの対応とは別に、この事件が、日本の法制度をよりよいものに見直す機会になるとよいですね。
また繰り返しですが、日本はもっと英語での情報発信を強化していくべきでしょう。